SHIINBLOG

SHIJIN BLOG

あなたに綴る。とあるブログの黙示録

 

「生きるのに疲れた」なら仕事とかもう全部投げ出せばいい

スポンサーリンク

 

f:id:gustave_buzz:20161110155440j:plain

参照: タイタニック

こんにちは、SHIJIN(@gustave_buzz)です

みんな敢えて言葉に出す事はないと思うんですけど、「生きてるのに疲れた」そんな風に思う事って意外とあるのかなって今日はそんなお話しです

実は私、結仕事がハードだった時期とか前にあって、その頃はデフォルトで12時間くらい働いていました。最近だと電通事件とかもあって「生きるのに疲れてしまった」そんな現実を送っている人もいるのかなって、そんな事を考えていました

「生きるのに疲れた」と思っていた時の話

毎日12時間働いて、会社の往復も往復で2時間くらい、残りの時間て10時間くらいじゃないですか。御飯を食べたりお風呂に入ったりしていたらどんなに時間を作っても9時間位しか残らないんですよね

当時は23時に寝て朝の4時半位には起きて家を出るのが5時くらいの生活だったのかな

休みはあってもくたくたでかなり疲れてしまっていて、彼女がかまって欲しそうにしているの知っていながらねむくてねむくてとにかく休みは寝て、やらなくちゃいけない作業なんかもこなしていた気がします

「生きるのに疲れた」でもさ仕事って何の為にあるの

本来仕事って普段の生活をより良いものにする為にあると思うんです、ですが日本の企業は個人より会社の業務が優先されるそんな傾向があるんじゃないかなってそんな風に思うんです

就職していないアルバイトは無職として扱われ、ニートは奇異の目で見られてしまう

でもアルバイトの人でも一生懸命頑張っている人がいるし、ニートをやっている人だって、ネットの繋がりのある方を見ていると本当は頑張って仕事をしたい、けど企業で働いていた頃に余りの過重労働で体を壊してやめてしまった人、精神的にまいって辞めてしまった人も多いのかなって思います

「生きるのに疲れた」そう思えてしまう学歴社会・職歴社会

思えば高校の受験から競争ははじまり大学受験でも競争は続きます

競争競争でそこがゴールになってしまい大学に入ってから遊びほうけてしまうなんて話もありますが実際は大学3年頃からまた新卒の就職戦線に送り出されてしまう

新卒で社会に出れなかった人なんて結構悲惨なもんですよ、思っているよりもレールから外れてしまった人には厳しい世界です

就職していなかった時期がある人は職歴も無い訳で、即戦力が必要とされる転職市場でもなかなかうまくいかない事が多い事も多いと思います

私はリーマンショックと被って新卒で就職しなかった人なんで実体験ですが(笑)

なんだかんだ食いつなぎながら就職するまで1年位掛かりましたね

「生きるのに疲れた」でも会社は個人を守ってくれないよ

会社は個人の時間をさも当たり前の様に「残業」や「無言の圧力」で縛りますが、私はもう個人は会社の為に心血を注いで奉仕する時代ではないと思っています

結構波瀾万丈な20代を送っていて、私が23才の頃にうちの親父が脳梗塞で倒れているんです

その頃はリーマンショック後で自分は就職活動しながらホテルの下働きなんかしながら実家でまだ暮らしてました

帰りの電車、車内で電話が鳴ってなぜか母から掛かって来たんですね

なんか嫌な予感がして電話に出たら親父が倒れて病院に運ばれたっていう電話で、、

なぜかは覚えていないんですが「やっぱりそんな気がした」そんな風に思ったんです

長時間労働の仕事、過労から来る病気について

電通事件では自身で人生を断ってしまうと言う悲しい事件がありましたが

私の親父の場合は「脳梗塞」という病気として現れてしまいました

当時倒れる2〜3週間前に親父が「頭が痛いって」言っていたんですね

心配はしていたんですがまさかそんな事になるなんて思っていなかった

当時自分は23才、弟は18才、家族を守る為に無理していたんだなって、そういうのはずっと気に掛かってはいたんですがその当時の自分は何かして上げられなかったのは今でも後悔が残っています

もしあの時ちゃんと精密検査をしていたら、、と思うんですよね

たまに夢で自分が子供で親父がいた頃の景色を見るんですが「はっ」と起きると「ああ、もういないのか」、最後の顔を思い出すんです

(3年くらい入院して先にあっちに行ったんですね)

会社の人が見舞いには気てくれましたがその後の保証をしてくれる事はありませんでした

26才くらいまで入院費用と家族の生活費を頑張って稼いで来ましたが、会社の為に生きるそんな生き方だけはやめようって、ある種の働かせ過ぎる会社に対する憎しみみたいのがどうしてもあるんですがね(笑)

「生きるのに疲れた」ならさもうレールを降りてもいいんじゃない?

私がブログや他のメディアサイトを運営、ネットショップ運営なんかをしていたりするからなのかもしれないんですが、もう社会のレールを外れる生き方もありなんじゃないかなって個人的には思うんです

確かにまったく何も無い状態でアルバイトだけで生活するのは難しいます

ですが、自分で副業的に他の収入源を確保する事をした上で個人で生きる選択をするのはありなんじゃないかなって思うんです

仕事=生きるみたいなそんな事が肉体的に、精神的に受け入れられない人もいると思います。実際に耐えられなくてドロップアウトせざるを得ない人もたくさん見てきました

ですが本当にそれって悪い事なのかな?

「生きるのに疲れた」って思う事はあるべき自然な人生の在り方方からはずれてしまった事による体や心の正直な気持ちじゃないのかなって思うんです

「生きるのに疲れた」なら場所に囚われない暮らしをしよう

実は最近東京方面から離れて湘南の海辺の街で新しい暮らしをしようかなと思っています

(というか現在進行形でその作業中)

割合としてフリーの仕事が少し形になってきたので質素な生活ながら、前から暮らしたかった海辺の暮らしをはじめようかなと思っています

本当の夢は沖縄へ行きたい、だったんですがなんとか仕事と暮らしの折り合いをつけたらその辺に落ち着きました

もし「生きるのに疲れた」、もうだめかもしれないって思ったら

仕事辞めてハワイ旅行でも、近場の海外でも温かい場所にでも、自分の好きな生き方を見直してみてもいいんじゃないでしょうか

社会のレールから外れてしまって、もう生きる意味が見つからないなんて思ってしまったら全部捨ててもいいんですよ

 

「他の人が後ろ指刺して来ても少なくとも私は応援しますよ」

 

レールを外れてしまう事は安定とはほど遠い生き方だと思います、私は12時間労働の毎日をあと5年頑張って務めれば十分な貯金する資金も貯まったろうと思うのですが、そこまでお金を貯める為に今を犠牲にする生き方を選択する事は出来ませんでした

キャリアアップのの延長線上としての復帰は難しいだろうけれど、小さい幸せを見つけていきたいなと思っています

 

 

☆ノマドという古い言葉ながら自由な生き方について書いた記事

shijinblog.hatenablog.com

☆ブラック企業に関する見分け方に書いた記事はこちらを参照

shijinblog.hatenablog.com

スポンサーリンク

スポンサーリンク