歴代韓国大統領の任期後の逮捕・末路の闇について
最近よくテレビで見掛けていた朴槿恵大統領への退陣要求、今回4月末に韓国大統領を退陣受け入れを行う事がwebのニュースでも流れていました
ですが、なぜ朴槿恵大統領が崔順実氏の国政関与のニュースをきっかけに支持率が5%を切っていたのに辞めなかったのかその理由については多くの方はご存知なのでしょうか。内容が内容だけにあまり公には出回っていないのかなというのもあり、今回の記事を書いてみたいと思いました
実の所を言うと韓国の歴代大統領は退任後かなり悲惨な末路をたどっています
今回これだけ糾弾されていたのにも関わらず韓国大統領の退任を拒んで来たのには訳があります
韓国大統領の退任後の逮捕について
韓国の大統領ですが実は在任中は刑事上の問題は免れる形となっています
ですが退任後は在任中の法律違反に対して刑事上の責任が問われる形となっています
出来るだけ長く大統領を続けたいというのは崔順実氏への機密情報漏洩疑惑や崔順実氏が私物化している財団への出資疑惑、崔順実の娘への大学入試に対する不正入学が上げられている為ではないかと思います
これまでの問題を箇条書きにしていくと
・大統領府秘書官による崔順実氏への機密情報漏洩
・崔順実氏の施設財団、ミル財団、Kスポーツへの資金の拠出
・サムスン財団、第一毛織の合併の際の大株主国民年金公団の不正な賛成票
・崔順実の娘の梨花女子大学への不正入学及び不正な単位取得(大学教授刑事告発済み)
・崔順実の姪チャンシホの運営するスポーツ育成団体への不正横領疑惑(チャンシホ横領罪で拘束済み)
・国民体操(ヌムプル体操)への利権関与疑惑
・セウォル号沈没事件の空白の7時間
まあ、あれですね。身内への特別待遇(不正)関係が大半の様です
崔順実氏の娘の大学入試などは娘自身がtwitterなどで結構煽る内容を書いていて、韓国の大学入試はその後の人生に大きな影響を与えるためかなり熾烈な競争がある為、多くの親子さんからの反感を買ったと言うのがいつのまにか小さな火種から大きな運動にまで広がった形となっています
歴代大統領の任期後の逮捕、末路について
私はテレビ見ない人なんでネットで調べてて前から知っていたのですが、皆さんはご存知だったでしょうか?かなりやばい事になっているので朴槿恵大統領もどうしても大統領の地位からは降りたくないと言うのがあったのかと想像で来ます
それではこれまでの歴代大統領の逮捕、末路についてみていきたいと思います
李承晩(イ・スンマン)-第1代~3代大統領
・養子の長男は一家心中を試み自死、その後自身は亡命
馬山事件に抗議するデモは瞬く間に韓国中に飛び火し、4月18日には高麗大学とソウル市立大学の学生が国会前で座り込み(帰宅途中に暴漢に襲われ、多数の負傷者が出た)、翌4月19日にはソウルで数万人規模のデモが行われた。各主要都市でも学生と警察隊が衝突し、186人の死者を出した(4・19学生革命)。
同年4月20日、ウォルター・P・マカナギー駐韓アメリカ大使(英語版)が景武台を訪れ、「民衆の正当な不満に応えないのなら、アイゼンハワー大統領の訪韓を中止し、対韓経済援助を再考する。一時しのぎは許されない」と、李承晩に対して事実上の最後通牒を突きつけ、頼みの綱だったアメリカにまで見放された形となる。
【中略】
李承晩は1960年5月29日早朝に妻とともに、金浦空港からアメリカ・ハワイに亡命した。韓国で李の見送りに訪れたのは、大統領代行となった許政外務部長官だけだった。
朴正煕(パク・チョンヒ)-第5代~第9代大統領
・デモの後に暗殺
釜山・馬山で大規模な民主化デモ(釜馬民主抗争)が起こっていた1979年10月26日、側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長金載圭によって射殺された(10・26事件)。享年61。暗殺後、国葬が執り行われ、遺体は国立墓地顕忠院に葬られている。なお、朴正煕は1985年には自ら下野すると側近に話していたという。朴正煕 - Wikipedia
崔圭夏(チェ・ギュハ)-第10代韓国大統領
・軍事クーデターにより韓国大統領を退任
1975年に金鍾泌の後任の国務総理(首相)。1979年10月26日に朴正煕が暗殺(朴正煕暗殺事件)されると大統領権限代行となり、金鍾泌に次期大統領を依頼したが本人に固辞されたため12月6日に大統領に就任し約8ヶ月間在任した。韓国の歴代大統領の中で在任期間は最も短い。
全斗煥(チャン・ドゥンファン)-第11代~第12代大統領
・退任後投獄、死刑判決
夜九時のニュースが必ず全斗煥賛美のニュースで開始されたため、テンジョンニュース等と揶揄された。 クーデター後に金大中を含む野党側の政治家を逮捕また軟禁し、非常戒厳令を全国に拡大させ、これに反発していた光州での民主化要求デモを鎮圧するため陸軍の特殊部隊を送り、市民が多数虐殺された(光州事件)。金大中は軍法会議で死刑判決を受ける(後に無期懲役に減刑)ものの、1982年にアメリカに出国。1987年以降には改憲・反政府運動も活発化し、7月には政権移譲を表明。
【中略】
退任後には自ら財団を設置し院政を狙うが、利権介入などが発覚し親族が逮捕されるに至って、1988年11月23日に私財の国庫への献納と隠遁を表明した[7]。その後も光州事件や不正蓄財への追及が止まず、死刑判決を受けた(金大中の計らいにより、減刑の後、特赦)。2004年にも子息の不正貯蓄について検察から出頭を求められている。
盧泰愚(ノ・テウ)-第13代韓国大統領
・政治資金隠匿により軍刑法違反で懲役
1993年2月24日の大統領退任後、1995年に政治資金隠匿が発覚。さらに粛軍クーデター・光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受け、
1997年12月に特赦された。 2012年6月、大統領在任中に作った秘密政治資金の一部を、長男の妻の父親に預けたとして、検察に捜査を依頼した
金泳三(キム・ヨムサム)-第14代韓国大統領
・自身は献金や癒着を許さないと宣言していたのだが次男が斡旋収賄で逮捕
政治と経済の癒着を嫌悪し、「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルグクスにする」と明言した[2] 。また、歴代大統領が議員に配っていた「モチ代」の制度も無くすなど、政治の無駄の部分を排除していった。 経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくすため、「金融実名制」を実施した。しかし当時20代だった次男の金賢哲(キム・ヒョンチョル)が小統領と呼ばれるほど権威を振り回し、1997年に斡旋収賄などの容疑で拘束されている
金大中(キム・デジュン)-第15代韓国大統領
・息子3人が贈収賄容疑で逮捕
2002年の任期末に三人の息子である 金弘一、金弘業、金弘傑による不正蓄財が発覚して国民へ代わりに謝罪をした
三人の息子らが斡旋収賄で身柄を拘束される時に李姫鎬(イ・ヒホ)夫人によると「家庭の中外でも言葉を失くした。互いに各々の書斎で別々に過ごし、夜遅くに寝ようとした。夫(金大中)が死刑宣告を受けた時の辛さも、これほどではなかった。一日も早く青瓦台(大統領府)から出ていきたかった」。月刊誌のインタビューで夫人は「2002年は悪夢」と語っている。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)-第16代韓国大統領
・不正献金疑惑で逮捕、その後自死
退任後、盧武鉉の側近・親族が相次いで逮捕された。2008年11月、盧武鉉政権の側近の一人が贈賄容疑で逮捕された。また、盧武鉉の兄盧建平が証券会社「世宗証券」の買収を韓国農協幹部に働きかけ、約20億ウォン(約1億3000万円)相当の見返りを得ていた疑惑が浮上し、後に逮捕された。
2009年8月25日、盧武鉉の秘書官が大統領特殊活動費を着服したことや盧武鉉の支援者から金品を受け取ったことで横領と収賄罪で懲役6年の実刑判決を受けた。
【中略】
盧は2009年の飛び降り自殺の2カ月前に「政治、するな。得られることに比べて失うことのが遥かに大きいから。」、「大統領になろうとしたことは間違いだった」と韓国大統領になったことを後悔する文章を残した。
その後、盧の逮捕も近いのではと思われていた矢先の同年5月23日早朝、慶尚南道の金海市郊外の烽下村にある自宅の裏山のミミズク岩と呼ばれる岩崖から投身自殺を図り、頭部を強打するなどして3時間後に死去した。
まとめ
「やばい」のひと言ですね
盧武鉉前大統領の最後の置き手紙が韓国の大統領になって大きな権力を手に入れる事の代償を物語っている気がします。また家族や近親者の不正が多く見られる事についても人間の欲という物の業の深さ、闇の深さを感じます
盧は2009年の飛び降り自殺の2カ月前に「政治、するな。得られることに比べて失うことのが遥かに大きいから。」、「大統領になろうとしたことは間違いだった」と韓国大統領になったことを後悔する文章を残した。